俺の体験談だけど。どう感じる? 日本の真ん中長野県。さらにその真ん中ら辺りにある湖がある。今でこそすっかり綺麗な水面を取り戻しているが、当時は汚染で異臭がひどく色は抹茶色。そんな時代のこと。 俺は諏訪市立諏訪中学校の2年生。背が高いというただそれだけの理由で、担任に勧められるままバスケ部に入部。大してやる気もないまま、部活が終わればそそくさと帰宅する毎日だった。 その日は梅雨で、激しい雨が続いていた。 学校から自宅まではおよそ2キロ。雨の日は決まって歩くたびに靴から水が滲み出るほどに濡れる。登校ですでにそれなので、学校内は上履きがあるものの、帰りは履き心地最悪だ。 完全に陽が落ちて、歩道に薄暗い街灯が灯いている。見上げれば無数の大粒の雨が空を埋め尽くす。すれ違う車が跳ね上げる水に鬱陶しさを感じながら学校の坂を下る。国道20号線にさしかかった時のことだ。 一台の白い車が俺の前をスッと通り越し路肩に止まった。 ありきたりな光景であり、俺には関係がないのでそのまま通り過ぎようとすると、助手席の窓ガラスが降りて、中から女性の声がする。見知らぬ人だった。 「家どこ? 送ってあげる」 運転席に座る女性の年齢は、20代後半から30歳くらいだろうか。顔の造形は暗くてよく見えなかったが、車内の小物やデコレーションからして車は彼女自身の持ち物のようだ。中学生の俺から見れば彼女は完全な「大人」であり、学校の先生らと何ら変わらない存在に感じた。 「え、いやいいです。家近いんで」 突然のことに少し戸惑い、とっさに断った。だが、女性は引かない。 「近くてもいいから乗って。早い方がいいでしょ」 何度か押し問答を繰り返したが、悪意や危ない雰囲気は感じられなかった。雨でずぶ濡れなのも手伝い、俺は諦めて助手席のドアノブに手をかけた。 車に乗ってしまえば、家まではほんの2、3分の距離だ。一体この人は何のために自分を乗せたのだろう――そんな疑問が頭をよぎった瞬間、彼女は車を発進させながらポツリと言った。 「いつもここ歩いてるよね。帰りに何回も見かけてて、大変そうだなって」 驚いた。つまり彼女は、ずっと前から俺の存在を認識していたのだ。 国道を歩く見知らぬ男子中学生をわざわざ覚え、さらに車を止めて声をかける。それには相当の覚悟か、衝動のようなものが必要だったのではないか。知らない人の車に乗るな、ああ。どこかで聞いたことがある。ガキなりにそんなことが頭を駆け巡る。 「…はい、通学路なんで」少し間をおいて答えた。 「そうなんだ、ごめんねびっくりした?」 「いえ、そうでもないですけど……もうこの先が家です」 そう言って俺は、自宅から100メートルほど離れた公民館を指さした。車に乗ってしまったための俺なりに考えた防衛策だった。 それ以上、特別な会話もないまま車は公民館の前で止まった。車から出て、頭を下げながら傘をさす。 車内の空気感も、彼女の真意も、何もかもが分からないままだった。家族以外の人とこんな閉鎖空間で話したことなど一度もない。しかし胸がときめくとか恐怖で心臓が跳ね上がるといった感情は湧かず、ただただ頭の中が「???」という困惑で埋め尽くされていた。 こんな短い距離に乗せて、彼女は何かに満足したのだろうか。 無限ループに陥った気分のまま、俺は自宅玄関の引戸を引いた。 「あら、今日は少し早いね」 キッチンにいる母親が、いつもと変わらないトーンでそう言った。